面白いとは、何だろう。




人生というのはどのようにでもとらえることができるから、辛いと思えば辛い人生だし、楽しいと考えるなら楽しい人生なので、だとしたら、できるだけ面白い人生を送りたいと思っていて、しかしまあこの面白いという概念は色んなとらえ方のあるので、そういえば自分にとっての面白いとはなんだろうと思い、挙げてみる。



・子育ては辛いが面白い


・働くことも辛いが面白い


ファイヤーエムブレムは面白い


スーパーマリオは操作が苦手だしストーリーがあんまりないので面白くない


・お笑いも自分には特に不要


・その場限りで単純にゲラゲラ笑うようなものは全く面白くないが、ことあるごとに思い出してはクスクス笑えてくるできごとは面白い


・やったことのないものに挑戦するのは、そのときは地獄だが、あとで振り返ってああ面白かったなあと思うことが多い


・なかなか良いアイデアが出なくてみんなでウンウンうなっているときは面白い(これもあとからそう思うのかもしれない)


・近所の古い商店街の小さい本屋のおっさんは妙に偏った本ばかり置いていて妙に偏った音楽ばかり流していて妙に変な客ばかりやってきて面白い


・どこの地域に行っても、おっさんがグダグダしゃべっている集まりというのはだいたい面白い気がする


・そんな面白いおっさんの一人になれたらじゅうぶん面白い人生かもしれない


・今までは気にもしなかったものが、新しい世界の見方をすることでまったく違うように見えてくる瞬間はとても面白い


・単純に新しいことを学ぶのは面白い


・まったく理解できなかったことがしばらくたってから考え直したらわかるようになっていたときはすごく面白い


・こりゃもうダメだなと絶体絶命の状況になってもその状況を面白いと思えばまあ面白い


・むしろ面白い人生というのはものすごい緊張感と隣り合わせじゃないと得られないようにも思う


・面白い人生というのは、うわあこれは本当に面白いねとその面白さを誰かと共有することでより面白いものになるとも思う


・しかしじゃあみんなで面白がろう、みたいに無理に面白がっても、たいして面白いものにはならない


・面白い人生というのは、それが面白いかどうか本人が評価なんてする余裕がないぐらい切羽詰まっていたり必死だったりなりふりかまっていられなかったり興奮してたりするものなのだろう


・面白い人生というのは必死に生きてこそ成立するのではという最も面白くない話である



面白くないのが、一番面白い。

1日は、8時間しかない。





8時間。



免疫力が極端に落ちない程度の睡眠時間と、家庭の用事に必要な時間と、通勤にかかる時間と、ブログを書く時間を差し引くと、それぐらいしか一日の仕事に使える時間はない。

それを無視して働けば、他のどこかの時間を削るしかなく、削った部分に負荷がかかって、身体を壊したり、家庭が崩壊したり、他の何かが決壊したりする。

だから一日のうち、仕事のためだけに使える8時間のあいだに、猛スピードで業務に取組んで最大の成果を挙げるべきであり、つまらない雑談やダラダラとした昼食やああでもないこうでもないと逡巡して何も決断しない無駄な時間などあってはいけないのである。

しかし告白すると、ぼくの毎日の仕事はつまらない雑談やダラダラした昼食やああでもないこうでもないと逡巡して何も決断しない無駄な時間にあふれていて、なかなか改善するのは難しい。

理由は簡単で、短時間で仕事を終わらせて退社することが評価されないからである。

むしろ遅くまでダラダラ働いて、仕事をたくさん抱えて頑張っている体でいるほうがなんとなく居心地がよかったり、それをああ忙しい忙しいしかし俺はこんなにすごい仕事をしているのだと大きな声でアピールするほうがなんとなくいい感じだったりする。

まあ別にそれはそれぞれの生存戦略であり、ぼくもこれまではそうやってダラダラと仕事をしてきたのだ。

もうちょっといえばそこまでダラダラと仕事をするには明確な理由があって、仕事は自分から増やそうと思えばいくらでも増えるからである。

しかし増やしたからといって同じだけ売上が増えるわけではない。人がいくらたくさん働いたからといってそのぶん大きく増えるような種類のものではない場合が多いからだ。

となればできるだけ働かないほうが利益は大きくなるわけだが、まあそんなわけにはいかない、顧客からの要望はどんどん増えてくる、これに対応しなければ売上を失いかねない。

そんなわけで、ダラダラと遅くまで顧客の要望につきあって、相手の気が済むまで時間を無駄に使い、ああ俺は忙しい、忙しい、大変だ、大変だ、しかし俺はこんなにすごい仕事をしている、そんな俺はすごいすごいと大きな声でアピールすることで、何か物事が進んでいるように見せかけることのほうが大事になってくるのである。


ではどうすれば8時間で仕事を終わらせることができるのだろうか。


いくつか方法はあるだろうけれど、一番根本的な解決となるのは、自分の会社の商売を、8時間で仕事を終わらせることができる商売に変えることだ。

大きな売上と引き換えに無限労働を提供する商売から、一日8時間の労働で完結する商品を売る商売に変える。

もちろん、そんな商売が成立するかどうかはやってみないとわからないが、自分や自分のチームだけでも一度試してみる価値はある。


・そもそも一日8時間で終わる仕事を売るためには、当たり前だけど一日8時間の労働だけで成立させられる商品やサービスを作る必要がある

・また、できれば今までと同じかそれ以上に給料が増えたほうがありがたいから、利益を減らすわけにはいかない

・となるとぼくらはこれまでよりも短い時間で、高く売れるものを生み出す必要が出てくる

・さて難問だ

・難問に出くわしたときは、とにかく色んな視点から問題を見つめてみる

・たとえば手放すということも大事じゃないだろうか

・売上の多くを占めている商品やサービスのことを一度忘れて、それでも何か売れるようなものはないだろうかと考えてみる

・ついでに自分の変なこだわりとかこれまでの経験からも自由になってみる

・色んなものをどんどん頭の中で手放してみて、それでも何かワクワクできるもの、面白そうなものが残っていないだろうか

・ぼくの場合は、何かについてみんなでアイデアを出し合っている瞬間だ、これまでは文句を言ったりボソボソしかしゃべらなかったり押し黙ったりしていた人たちが、急に「ひらめいた!」と目を輝かせ、それぞれの言葉でしゃべりはじめるあの感じだ、それを紙なりホワイトボードなりパソコンなりに描いていくときがたまらなく好きだ

・であれば、そういうことを商売に生かすことはできないだろうか、一日にたった8時間しかその商売には時間はかけられないけれど、しかしずっと高いお金を払ってもいいと思ってもらえる、そんな商売はできないだろうか

・アイデアというのは時間をかければ生まれるとは限らない

・大会議で偉い人たち、賢い人たちが集まってああでもないこうでもないと話し合って、良いアイデアが生まれた場面を見たことは一度もない

・アイデアというのはとても恥ずかしがりで、怖がりで、机の下やジャケットの裏やパソコンの底に隠れて、ブルブル、ブルブルと震えているのである

・そいつを捕まえるには、それなりのコツが必要なのである

・100時間かけても見つけられない良いアイデアを、8時間で見つけられるとしたら、それにお金を払いたいと思う顧客もいるんじゃないだろうか


なんていうのはすべてただの妄想だけれども、新しいことを試してみるきっかけにはなる。

一日は、たった8時間しかない。

これを前提にしてできることを考えて、試してみて、うまくいかなければまた考え直してみる。

別に誰のためでもない。

自分が大切にしたい時間を守るため、ただそれだけである。



ウルトラマンだって、地球上でいくらでもダラダラと戦うことができるのであれば、一撃必殺のスペシウム光線なんて編み出すこともなかっただろう。

地位でもなく、お金でもなく。



終電近くの電車に乗って、月曜日だったせいか車両は空いていたので首尾よく座れたのだけれど、途中から酔っ払いでおまけに体格の良い若者たちが3人わざわざぼくの座席の前に立って大きな声で話し始め、おまけにこっちにフラフラと寄りかかりそうになっている。



大声で無理やり聞かされる話の内容がまたまったく面白くない。

人生というのは帰りの電車でさえ簡単にはいかないものだなあと思いつつ、しかしこの人たちにはこの人たちのルールがあり、彼らの中では見知らぬ中年サラリーマンに気を使うよりも、電車の中で大声で先輩に対して後輩はいかに礼節を重んじる必要があるかについて議論することのほうが重要なのである。

いま彼らを動かすことができるのは、その先輩と後輩の関係性に関わる場合だけなのだろう。

ぼくは無意識のどこかで、人というのはだいたいはなんらかの権力か、あるいは一定のお金によって動くんじゃないだろうかと思っていたりするが、実はそんなことはまったくなくて、仮に3人を、ちょっと静かにさせて、ちょっとジッとさせるためにお金を握らせていても、なんの進展にもならない。

それは自分だってそうで、顧客や経営者の言うことは聞いても、何の関係もない人からのクレームに耳を貸すことはない。

そうやってぼくらは目に見えないルールを重んじて、目の前の他人を風景として扱っている。

そんな状態の人の行動を、全くの他人が変えるなんてのは、ひどく難しいことだ。



できるだけ多くの人に動いてもらうためには、どうすればいいか。

たぶん、できるだけ多くの人を知ることだろう。

その人の喜び、怒り、悲しみ、そういったことを知ることだろう。

その人が大切にしているものを知ることだろう。

そうすることで、その人は赤の他人ではなくなるからだ。



なんてことを思いながら電車に乗っているとそろそろ自分が降りる駅だ。

ガタイのいい若者たちに、すみません降ります、と頭を下げて、それでもなかなか動かないので押しのけるようにして立ち上がる。



人に関心を持つのも、難しいものだ。